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生まれるものあれば・・・

2006.07.03 *Mon
義母のマム(母方のおじ)が亡くなった。
つい1ヶ月ほど前、グジュランワーラにある彼の家を訪ねた時はいつもと変わらない様子だったのに、ほんの1週間前から体調を崩してラホールの病院に入院していた。

折りしも訃報が入ったその時、それを知らない義父と義母はマムの病院へお見舞いに向かった後だった。
このマムは義母の母の一番上の兄で、11人の子どもたちを育て上げた。
私は2~3度会ったことがあるだけで、いつも彼の特等席、チャールパイの上に静かに座っている姿しか覚えていない。
病院に彼がいないことを知った義母たちは、帰ってくるなりグジュランワーラに向かう用意を始めた。
私には「この暑い中人がたくさん集まるし、子どもたちは連れて行かない方がいいよ」と言った。
けれどほんの1ヶ月ほど前に会った彼を思い出すと、最後のお別れをしないのは申し訳ないような気がして、一緒に行くことにした。

彼の家は玄関が開放されていて、既にたくさんの人が集まっていた。
彼はいつものチャールパイに寝かされていた。
すぐ傍には長年連れ添った奥さんが座っていて、義母と彼女は抱き合うなり泣き出した。
いつもは何でもガハハ、と笑い飛ばすような勢いのある彼の娘たちも一点を見つめて下を向いていた。
息子たちはゆっくり悲しむ間もない、と言った様子で彼の周りに大きな氷を置いたり、やって来た弔問の親族たちを迎えたりと忙しくしていた。
生前の彼についてほとんど知らない私だけれど、彼の婿や嫁たちまでもが涙を流して力なく座っている様子は、それだけで彼の人柄が窺えるようだった。
彼の亡骸を目の前にして、やっぱり人が死ぬって不思議だな、と思った。
生きていることと死ぬことの違いって、動かない、痛みを感じないことだけなのだろうか?
生きているときと同じ穏やかな表情をして横たわっている彼をいくら眺めても、その答えは見つからない。
ただ、そこには見えない神様の力を感じるばかりだ。
どんなに愛し合っているものどうしでも、自分にとってどんなに大切な人であっても、その死はそれぞれに与えられるもので、自分の力ではどうにもできないのだから。
まだまだ神様のことを信じきれない私だけれど、もし信じきることができたら、あらゆる逆境を何とか乗り越えていけそうな気が漠然としている。
考えてみれば、結婚式には何度か行ったけれど、こちらでお葬式(私がいたのはお通夜だったけれど)に行ったのはこれが初めてだ。
そして、誰かが亡くなった家で食事を作ることができないということを、今回初めて知った。

お年寄りにとって、この暑さはきびしかったんだろうな・・・。私の故郷、琵琶湖に沿って立ち並ぶ昔ながらの家々にも、夏になるとお葬式があちこちで出ていたのをふと思い出した。




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Author:りむしゃ
パキスタンのラホールにて子育て中です。
私生活は不安がいっぱいですが、こちらでの生活を自分なりに楽しみたいと思っています。
※現在日本にいるので、お休み中です。



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