This Archive : 2006年06月

スポンサーサイト

--.--.-- *--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ガリ アラインヤ

2006.06.29 *Thu
先週、モハッラ・チョハッタ・マフティ・バカルの中にあるアラインヤというガリを訪ねた。
地図を持っていたのに見落としそうな小さな路地。
それがガリ・アラインヤの入り口。
正面にモスクが見えたので行き止まりかと思ったら、これまた小さな路地が奥へと続いていた。
P1010111.jpg
分かっていて路地の奥へと入っているのだけど、すれ違う人が丁寧に「その先行き止まりだよー!」と声をかけてくれる。
そしてチャッジャが見えてきた。
P1010113.jpg

細い路地の先に見えてきたのは、三叉路にまたがる大き目のしっかりしたチャッジャ。
普段は人通りが多くてゆっくり写真も撮れないのだけれど、この日は日曜日の朝だったので、みんな玄関先に椅子を出したりしてくつろぎモード。
確認のため住所を聞くと、ついでに、と奥も案内してくれた。
P1010122.jpg

私がカメラをかまえている手前側と右手の路地は通り抜けることができる。
左手の路地は奥へ奥へと行った後、袋小路。
P1010116.jpg

いかにも行き止まりになりそうな、たよりなさ気な路地だけれど・・・
これはナウリヤン・バザールへと続く道につながっている。

チャッジャのある三叉路は地図上は3つとも通り抜けられる道となっていたが、なんといっても7~8年前の地図。
ナウリヤン・バザールへまっすぐ抜けられた、一番便利だったであろう街路は、今は袋小路になっていた。
私の手元にある地図は、研究対象となった一部の地域だけの詳細地図。
本当は旧市街全体の地図が欲しい。
地図はラホール都市計画局というところにあるものらしいのだけれど、私なんかが欲しい、と言ったらかなり怪しまれるんだろうな・・・(泣)

このガリ・アラインヤにはクーチャ・シェイフ・ユフサヴァンという別名がある。
クーチャとはペルシャ語起源の「細い路地・小路」という意味で、クーチェが変化したものだという。
ガリも同じく「細い路地」という意味で、こちらはヒンディー語起源の言葉なのだという。
ひとつの路地街区がガリともクーチャとも呼ばれることについて、参考文献には『ラホールの都市街区の構成は、インドの路地街区の伝統と、同じく路地街区の伝統を持つイスラーム世界の街区パターンが重層したものだということができる』とある。
また『・・・その居住パターンにおいて、カーストによる住み分けが行われていたことも極めて興味深く、イスラーム世界にありながらヒンドゥー的な基層文化が、街区形成に大きく影響していたことが明らかになった』ともある。
義父によると、ガリ・アラインヤのアラインとは野菜などを育てて売る人のことを言うらしい。
1947年のインド・パキスタン分離独立以前まで、ここにはアラインというカーストの人たちが暮らしていたのだろう。
今日も、この街の歴史を感じてゴキゲンな私。

参考文献:日本建築学会計画系論文集より 『モハッラ、クーチャ、ガリ、カトラの空間構成 ラホール旧市街の都市構成に関する研究その1』
スポンサーサイト

チャッジャのこと

2006.06.28 *Wed
ラホール旧市街には、チャッジャといわれるものがあちこちで見られる。
インドのことを書いている文章の中に石の板庇と説明があったけれど、実際に何のことをチャッジャというのか私には分からなかった。
義父にも義母にも義弟にも聞いてみたけれど、チャッジャという言葉自体あまり使われていないのか、「あれのことじゃない?」とか「いや、きっとあれのことだよ」とかハッキリしない。
そこで例のMおじさんにお願いして見せてもらうことにした。

百聞は一見にしかず、チャッジャとは道を挟んだ向かい側の建物との間に、歩道橋のような形で作られている建物の一部のことだと分かった。
ということはインドのチャッジャとはずいぶん様子が違うようだ。
イスラーム圏のこのような都市には『ヨーロッパなどでは近代にならないと姿を見せない都市の仕掛けや空間の発想を早い段階から獲得してきた』らしいのだが、このチャッジャもそのひとつではないかと思う。
大きさもさまざまで、中には三叉路をまたぐようになっているものもある。
そしてMおじさん宅へ続くあの“トンネル”こそチャッジャだったのである。

参考文献によると、『門やチャッジャはバザールからの分岐点や,街区内の袋小路の分岐点に設けられている例がほとんどで、街区構成において、境界を形成する建築要素として重要な意味があると考えられる』とある。
また『トンネル状になるその空間が(チャッジャのこと)、機能的には門としての役割を果たしていることがわかる』とも書いてある。
門は分かるのだけれど、果たして本当に、境界を知らせるためにわざわざチャッジャを作ったのだろうか?
そうするとチャッジャができた当時、チャッジャでつながれた建物の住人同士の同意も必要だったに違いない。
けれど境界を示すといった以外にチャッジャを作る理由は見当たらない。
またチャッジャがバザールからの分岐点や袋小路の分岐点に集中している以上、それは偶然であるとは言えず、自然発生だと考えるにしても無理がある。
もしこれから、チャッジャのある建物の中を見せてもらったり、そこに住む人の話を聞いたりする機会に恵まれたなら、またブログにアップすることにしたい。
義父によると、今回見てきたようなものを、チャッジャではなくチャッタと言うのだそうだ。

写真の、緑の看板やすだれがかかっている部分がチャッジャ。
下には旧市街らしい細い路地が通っている。


参考文献:日本建築学会計画系論文集より 『モハッラ、クーチャ、ガリ、カトラの空間構成 ラホール旧市街の都市構成に関する研究その1』

P1010041.jpg


子どもたちを見ていて・・・

2006.06.23 *Fri
P1010048.jpg

6ヶ月の息子が、ここ数日で上手にひとりでお座りができるようになりました。
寝返りして足で床をキックしながら、じりじりと前に進むようにもなりました。
子どもって本当見ていて飽きない。
昨日できなかったことが、今日できるようになったりするんだもの。
こういう成長をそばで見られるのはとっても幸せなことだと感じています。

以前、1歳のお誕生日を目前にした上の子を、泣く泣くパキスタンに預けたことがありました。
私と離ればなれになることも分からないで、きょとんとしていた息子。
預けている間に、歩けるようになった息子。
その成長の瞬間はたったの1回しか見られないのに、それを見られなかったことがとても悲しかった。
だから今回こちらに来ることが決まった時も、主人と離れるのは淋しいけれど、子どもたちだけ置いて帰るという選択肢は、ありませんでした。

上の写真は、上の子が下の子にチュウしてあげている様子。
こちらの子どもが、自分より小さい子を一人前の大人のように抱っこしたり話しかけたりして可愛がる様子は見ていて微笑ましいものです。
主人が望むように、イスラームに根ざした教育を受け、隣近所や親戚などのたくさんの子どもに囲まれて、いろんなことを学ながら大きくなっていくなら私もそれを見守っていこう。
けれど、パキスタンではこれが常識だから、というのではなく自分で考えることのできる子になって欲しいと強く思います。
常識だって疑う余地はたくさんあると思うから・・・。

今はまだ私にもしょっちゅうチュウしてくれる息子だけど、そんな時間長くないんだろうな。
どうかイスラームの教えを本当の意味で理解して、女性に優しい、そして本当の意味で女を守れる男になってね。
私みたいに口の減らない女を奥さんにもらっても、絶対に殴ったりしたらダメだよ。

ガラクタ

2006.06.22 *Thu
わたし専用のほうきが壊れてしまった。
柄のプラスチック部分が折れてしまったのだ。
義父は家のガラクタ置き場(と私は思っている)から細めの鉄の棒を持ってくると、それを芯にして補強し、あっという間に元通りにしてくれた。
私はこういう義父をとっても頼もしく思う。
そして主人も、そういう時の義父にそっくりなのだ。

日本ではよく言っていた。
「またゴミ持って帰ってきたー!!」
壊れてしまっているのか動くのか知らないけれど、たくさんのカーステレオ、ケーブル類、ゴミ捨て場から拾ってきたパソコン・・・。
言い出したらキリがないくらいガラクタを集めてくるのだ。
休みの日には毎週のように、新しくどこからか手に入れてきたカーステレオやナビを付け替えていた。
自分の車のカーステレオに満足している時は、人の車にまで取り付けてあげていた。
すごく手のかかる作業のようなのに、嬉々としてやっているのだ。
そして取り付けが完了すると「コレ、ほんとにすごいよ!」と得意顔。
私はあまり興味がないものだから、前のでもよかったのに、という感じなんだけど。
主人は車に限らず、パソコン・電気関係・家の補修、本当に何でもやってくれた。そういう時の主人はとっても頼りがいがあって、好きだ。
一緒にいる時は、「家にいるんなら車なんていじらないで、子どもの面倒みてよー!」とぷりぷりしていた。
けれどひとりになった今、休日の自分だけの時間をまた同じように車いじりに費やす主人を想像すると、ちょっと胸がちくりとする。
そんなに心配しないでも、案外人間って強いものだろうけれど。

ちなみに私の大事な永久保存版の雑誌類を、主人はゴミと言っていました・・・。

家族写真

2006.06.21 *Wed
P6120012.jpg

義弟に頼んでいた家族写真が、昨日やっと出来上がってきた。
ひとつは義妹の結婚式で主人と2人で撮ったもの。
もうひとつは主人が日本に発つ朝、子どもと一緒に撮ったもの。
私はこの写真のために、日本から写真立てまで用意してきたのだ。
小さい子がいるから、自分の置きたい場所ではなく、やたら高いところに飾ることになってしまったのだけれど・・・。

写真を見てつくづく思う。
どうして一緒に暮らせないのかなぁ。
そして主人と結婚した時の気持ちを思い出してみた。
以前から、男の人は自分の子供でも、自分が産まないから愛着がわかないんじゃないか、という漠然とした不安があった。
けれど知り合いの所へ訪ねたとき、その家の障害のある子どもを、フリではなく本当に可愛がる主人の様子を見て「あぁ、この人ならきっと大丈夫だ」と思ったこと。
ラホールの街並みを眺めながら、「ここにいつでも帰ってこられるなら結婚してもいいや」と思ったこと。

それでも、こちらの家族がみんなしてるように、私も家族みんなでオートバイに乗ってお出かけしたい。
普通のことがしたい。
簡単に日本とパキスタンを行き来できるようになったら、そんな風に思わないんだろうな。
そういう日が来ることを信じて、今はじっと我慢の子。
主人も日本でがんばっているから・・・。

旧市街のこと

2006.06.18 *Sun
P1040091.jpg

私がこの街で一番気に入っている場所がある。
それは、バードシャーヒーモスクの南側に広がる旧市街の街並み。
ラホール旧市街が築かれたのは、16世紀、ムガール帝国第3代アクバル帝の時期で、現在は新市街が南へ大きく拡大しているけれど、市壁で囲まれていた旧市街の形態そのものはアクバルの建設した当時から大きな変化はないという。
市壁の周囲は約4.8Km、12の市門が備えられている(旧市街全体では13)。

イスラーム圏の都市ではラホール旧市街のように迷路状になった市街地が多く見られる。
街路は細くなったり広くなったりしながら複雑に入り組んで、三叉路や袋小路も多く、先の予想を全くつかせてくれない。
そして両側には商店がぎっしりと立ち並び、たくさんの人、ロバや馬車が行き交い、独特の雰囲気を持った不思議な空間が広がっているのだ。
この道を抜けるとどうなっているんだろう?という路地ばかりなので、子供のころの“探検ごっこ”の時感じたわくわく感がくすぐられてしまう。

私の大好きな、イスラーム的混沌がここにある。
私の言う“イスラーム的混沌”とは、決して“秩序がない”ということではない。
中世イスラーム市街地も今と変わらず賑わっていたんだろうなと想像させてくれるような、悠久の時を越えて人間の営みを思い起こさせるような、そういうごちゃごちゃ感のことなのだ。
というのも一見すると無秩序に見えるこの空間、実はモハッラ・クーチャ・ガリ・カトラという4種類の単位(家々の集合体)が組み合わさって構成されているという。
このうちクーチャ・ガリ・カトラはバザールから分岐して、それぞれの家へとつづく路地を中心としたまとまりのことで、比較的小さな単位である。
そしてモハッラというのはクーチャやガリをいくつか含む、もっと大きな単位のことである。

幸せなことに、このあいだ野菜の卸売市場に連れて行ってくれたMおじさん宅が”クーチャ“の袋小路のつき当たりにある。
人が1人通れるくらいの細い暗いトンネルのような路地を抜けると、築130年を超える年季の入ったMおじさんの家が見えてくる。
表のバザールにはおもちゃ屋さんが軒を連ねていて、そこから一歩中へ入ったMおじさん宅の向かいの建物は倉庫として使われており、いつもおもちゃが山積みになっている。
この路地には、大声で声をかけ合いながら在庫を運び出す人たちが始終出入りしていて賑やかだ。
先日、「バイクで全部案内してあげるよ」と約束してくれたMおじさん。あぁ、早く連れて行ってくれないかなぁ。

※写真はイクバール公園側からみたバードシャーヒーモスク。

参考文献:日本建築学会計画系論文集より 『モハッラ・クーチャ・ガリ・カトラの空間構成 ラホール旧市街の都市構成に関する研究その1』 

ジャヌって・・・?

2006.06.16 *Fri
先日義妹に尋ねられて困ったことがある。
「ジャヌって日本語で何て言うの?」
すぐに思いつかなかった。
考えてもふさわしい言葉が出てこなかった。
ジャヌとは、愛しい人を呼ぶ言葉。大切な人を呼ぶ言葉。
こちらには、こうした言葉がたくさんある。

言葉の語彙には、民族のこだわりや、その土地の自然環境・生活に関わる必要性などが大きく影響している、と昔習ったことがある。
訳すのが難しい言葉や、訳すことのできない言葉、つまり日本語にはない言葉もある。
例えば血のつながりを大切にし、男か女かにこだわりを持つ韓国の人たちの言葉には、男性がお姉さんを呼ぶ言葉、女性がお姉さんを呼ぶ言葉が別々にある。
日本語ではどちらも“お姉さん”だ。
さらに韓国語には、親類の呼び名が8親等くらいまできっちりあるらしい。
また日本語ではわざわざ父方のおじ・おば、母方のおじ・おばなどと言わなくてはならないけれど、ウルドゥー語ではそれぞれ別の言葉になっているので簡単だ。

パキスタンの人は、血のつながりはもちろん、とりわけ子どもに対する思い入れが強い民族なのだと思う。
実際に自分の子供でなくても(日本語にするととってもおかしいけれど!)“私の息子”“私の娘”なんて普通に言ったりする。
義母もしょっちゅう言っている。
値下げをしぶるお店の人に対して、相手が30代40代の男の人であろうと「さぁ私の息子、どうするの?○○ルピーでくれるっていうなら買うよ」とか、リキシャのおじさんに向かって「息子、ここ右右!」などと言ったりする。
そして、子供を愛情こめて呼ぶ言葉もたくさんある。
まだまだ私の知らない言葉がたくさんあると思う。
日本語にそうした言葉がない・・・・のはどうしてなんだろう?
近所の子供を自分の子供と同じように叱ったり可愛がったりする時代もあったらしいけれど、根本的に子供は自分たち民族の宝、という意識がうすい民族なのだろうか?
血のつながりがある人に対しても本音とタテマエや遠慮があるくらいだから、他人に無関心という現代の日本の状況は今に始まったことではなく、近代化した現代の社会環境がそれを顕著に見せているということかもしれないな、と思う。
逆に日本語には、色を表す美しい言葉がたくさんある。
深緋(ふかひ)・小豆色(あずきいろ)・萌黄(もえぎ)・浅葱(あさぎ)・紫苑(しおん)京紫(きょうむらさき)・・・。
私はこれらの言葉たちが大好き。
使うことはほとんどないのだけれど・・・。
豊かな日本の四季折々の色彩が影響しているに違いない。

主人が私に”ジャヌ“という時は(めったにないけれど・・・)名前で呼ばれるのよりもずっと愛情を感じるし、主人が子供に”ジャヌ“と言うと何だか嬉しいし妙に安心する。
だからといって、私は人の子を”私の息子””私の子供“なんてまだ呼ぶことができない。

結局、義妹には「ジャヌにあたる言葉は、日本語にはないと思う。」と答えた。
| 未分類 |

マダリワラ

2006.06.15 *Thu
P6150088.jpg

今日は朝から、マダリワラと呼ばれる(日本語なら猿回し、ヤギまわしかな・・・?)芸を身につけたサルとヤギがやって来ました。
偶然にも我が家の玄関前に居座り、芸が始まりました。
おじさんの作ったストーリーに合わせて上手に動くサルはすごかったけれど、私はヤギに拍手。
ダンベルのような形をした木の棒の上に4本の足すべて乗せるのです。
まず前足2本を乗せて、それから後足を乗せて・・・おじさんはその木の棒をどんどん積み上げていきます。
私は1本目の棒で驚いていたのに、最後には5本も積み上げられてしまいました。
おじさんは最後の木の棒を私たちギャラリーに見せて、「指2本分だよ、ヤギの足1本も乗らない幅だよ!」なんて言っていたけど、ヤギをけしかけるおじさんの顔が怖かった・・・。

最後にローティ、メロンなどを、芸を見ていた家々の人たちがおじさんとサル&ヤギにふるまいました。
私がコインをいくらかサルに手渡すと、サルはそのコインをポコッと口に放り込み、それからむんずと私の腕をつかんで離しません。
おじさんは「こんなお金じゃ足りないってさ」なんて言っています。
これもしっかり仕込まれた芸の内なんだろうなぁ!
もらったメロンを食べていたおじさんが、ヤギの視線を感じて「お前はこっちのメロンを食べろよ!」とヤギの足元に置かれたメロンを指差す様子は、芸は終わっているのにコントのようでした。
下の写真は芸を終えてくつろぐ一行(笑)サルはコーラをもらってご満悦。
P6150094.jpg


6ヶ月になりました

2006.06.09 *Fri
今日で下の子が6ヶ月になりました。
石造りの床に寝かせると、ひんやりして気持ちいいらしくゴキゲンでころころ寝返りをしています。
今はこんなにおとなしいけれど、お兄ちゃんみたいにやんちゃになるのかなぁ??(上の子のやんちゃぶりは本当に凄くて、いつも振り回されています。)
今日は出張床屋さんに来てもらって、生まれてすぐ丸坊主にして以来2回目の丸坊主になりました。
ベビーウォーカーに座ったまま、ウンともスンとも言わず丸坊主にされました。
このまま元気ですくすく育ってね
P1010044.jpg


もやもや

2006.06.06 *Tue
少し心のザワザワすることがありました。
今朝は確かにあったハズの義弟の携帯電話がなくなったのです。
今日は珍しく人の出入りがなく、静かな午前中でした。
来たのはいつもお掃除に来てくれている母娘だけ。
以前にも私が日本から持ってきたお気に入りの髪留めがなくなりました。
親戚たちだって、自分が気に入ったものがあれば勝手に物を持って行ってしまうことが多々ありました。
だから、何かが無くなった時、すぐにその母娘のせいにする家族に少し反発を感じていました。
衣食住に困っているわけでないのに、人の家の物を黙って持っていく親戚たちの方が問題があると思っていました。
同情するわけではないけれど、お掃除に来てくれる彼女たちの生活は本当に大変だと思うのです。
彼女たちの住むエリアは私たちの住むところから、GTロードという綺麗に整備された大きな道を挟んだ向こう側にあって、その近くを行く人たちの服装から一目でわかるような場所なのです。
この炎天下の中、少し遠いその場所から、歩いて仕事にやってくるのです。
彼女たちが来ない時は、私も同じ仕事をするけれど、少しやれば汗だくになるような大変な仕事です。
それに対して少なすぎると思われる賃金。

・・・けれど今日は彼女たち以外誰も家には来なかったのです。
午後になって、自分の名前を名乗らない相手からの不審な電話がありました。
電話をとったのは義弟で、「この電話を誰から手に入れたんだ!!」と問い詰めました。
すると電話の相手は言いました。
「外である女の子から手に入れた」と。
あの掃除の女の子の顔が浮かびました。
私にも親しげに話しかけてくる彼女。
子どもたちにも優しい彼女。

携帯電話は日本でいうプリペイド式のもので、金銭的な被害は大きくないのですが、義弟の大事な電話番号などの情報が全て無くなってしまいました。
だから、お金に換わる代物ではないし、目的があるとしたらただの嫌がらせなのです。
そこが私にとってはショックでした。
義母は彼女たちにつらく当たる人ではありません。
仕事が終わる時間に合わせて昼食を用意したり、服がないという彼女たちのために生地を買ってきたりしていました。
私も彼女たちの仕事がしやすいように、いつも手伝っていました。
それなのに、嫌がらせをするような感情を持たれたことがショックでした。
髪留めのことは、義母は何回か口にしていましたが、私はもう許していました。
例え彼女が盗ったのだとしても、別にいいと思っていたのです。
義母は、彼女たちをクビにすることにしました。
そして明日からは、何とか私たちだけで掃除をすることになりました。

パキスタン人がよく言う、”使用人に優しくするとつけあがる”とはこういうことなのでしょうか??
果たして本当に彼女が携帯を持って行ったのでしょうか?
何だか気持ちのもやもやする日になってしまいました。

ブランコ

2006.06.05 *Mon
P1020003.jpg

ウチには鉄製の頑丈なブランコがある。
義父の手作りで、なんと30年以上前のものだ。
長男である主人が生まれたときに作ったのだそうだ。
これに義妹も義弟も寝かされてきた。
そして今、私たちの子どもも寝ている。

誰かが誰かのために愛情こめて作ったものが、長く大事に使われているって素敵だな、と思う。
親戚たちは皆このブランコを知っていて、集まるたびに言っている。
「ほんと、このブランコ丈夫だね。これにみんな寝てきたし、大きな子どもが乗って遊んでも壊れないもんね。」
ちなみにパキスタンでは、子どものいる家ならたいていブランコがある。
ベッドやチャールパイに布をくくりつけて作ったもので(下↓)子どもたちはこれに揺られている内にいつの間にか眠ってしまうのだ。
スリングのような”抱っこされてる感”が心地いいんだろうな。

P1010011.jpg


市場潜入

2006.06.04 *Sun
P1040037.jpg

P1040036.jpg

今朝は、4時起きで”サブジ・マンディ”という、野菜と果物の卸売り市場に潜入してきました。
写真は5時半ころの様子なのだけれど、とにかくすごい賑わい。
こちらでは、日本のようにハウス栽培したりしないので、市場にも当然旬の野菜や果物だけが並びます。
あまり手を加えず自然にまかせて作っているようで、どの作物も大きいのやら小さいのやら混じっていて、色もまちまちだったりします。

みんな元気に声を張り上げて、セリの真っ最中。
すいかのセリでは半分に割って中身を見せ、「こんなにすばらしいすいかだよ」と訴えています。
果物のエリアでは新鮮なライチを見つけました。
冷凍の茶色い皮のライチしか見たことがなかったので、新鮮だったら赤や黄色のこんなに可愛い色してるんだー、と何だかちょっと嬉しくなりました。
ライチの積み方もとっても可愛かったのでお見せします(下↓)
右も左も人や商品、積荷を待つトラックであふれかえっていて、足元には踏まれてつぶれてしまったトマトやマンゴー、後ろからも前からも頭に大きな荷物を載せて行きかう人びとの間を、ぬうようにして見てきました。
道路を挟んだ向こう側はさとうきびのエリアになっていて、背の高いさとうきびがたくさん並んでいました。

どこの市場だってそれなりの活気があるものだけれど、こういう所へ行くと”この雑然とした雰囲気、とてもイスラム的だなぁ”、と思うのです。
人びとにまぎれて、ロバも馬も牛も一生懸命仕事してるからかな、野菜や果物にまぎれて寝ている人がいるからかな、水タバコを吸っているおじいさんがいるからかな、何故だか分からないのだけれど、とにかく私はこのごちゃごちゃが大スキなのです。

最後に、私のこのような好奇心に理解があり、外出を許してくれるこちらの家族に感謝です。特にMおじさんありがとう。
(こちらでは女性がこのような行動をとることは有りえないことで、家族の中にそんなことをしようとする女がいたら、大抵はいい顔をせず止めるものだからです)

P1040063.jpg


ようやく始めました

2006.06.03 *Sat
先週から、先生のところに通っている。
主人も義妹も、この先生からコーランを習った。
コーランを読む前段階として、まずアラビア語を覚えなくてはならない。それを基礎の基礎から教えてくれるのだ。

恥ずかしながら私は、結婚5年目になるというのにお祈りもできない。
もちろん肌を見せるような服は着ないし、豚肉由来のもの、ハラールでないものは食べない。
ムスリマとしてしてはいけない基本的なことは守っているのだけれど、つまりはペーパームスリマなのだ。
主人も家族のみんなも、決して押し付けようとしない。
それなのに、ただのへ理屈なのかもしれないのだけれど、私的に納得できないことが多々あって、コーランを勉強したり,お祈りを覚えようという気にならなかったのだ。

実は今もそういった気持ちは解消した訳ではないのだけれど、以前から、ウルドゥー語を読めるようになれたらもっと楽しいだろうなと思っていた。
ウルドゥー語はヒンディー系の発音がいくつか加わるので、アラビア語より文字数が多いけれど、基本的にはよく似ている。
だから、アラビア語を毎日通って覚えることで、ウルドゥー語も覚えやすくなるだろう、と思ったのだ。
不純な動機だなぁ・・・。
だけど、自分から何かを始めることで、自然にお祈りなどをする気持ちになるかな、と考えたのも本当だ。

八百屋さん

2006.06.02 *Fri
P1020019.jpg

いつも通う近くのバザール。
日差しが最強になる前に、義母と子どもたちと一緒に野菜を買いに行きました。
安ければロバが一生懸命引っ張ってくる、移動八百屋さんで買うこともあるけれど、たいていはバザールまで義母にくっついて行きます。
ある程度、物の値段を把握しておかないとね。
今日買ったのはトマト1キロ7ルピー(14円くらい)、じゃがいも500グラム12ルピー(24円くらい)、おまけで香菜もつけてくれます。

先日義弟について来てもらったら、足元をみられてしっかり高い買い物をしてきてしまいました。
そればかりか、サトイモはちっちゃくて使い物にならないものばかり入れられていました(泣)
八百屋のおっちゃんが、トマトを青いのばかり袋に詰めているので、「赤いの入れて」とは言ったのだけれど、サトイモのことまで気がつかなかったぁー・・・。
まだまだ甘いなぁ、私。
ちなみにサトイモは義母が義父と一緒に返品、交換してもらって来ました。

2006.06.01 *Thu
先週、子どもが熱を出した。
40℃近くあったので、日本から持ってきた座薬をしてみたけれどダメ。
近所では小児専門でちょっと有名な先生の所へ連れて行った。
こちらでは、おかあさん方は即効性を望むらしく、何かっていうとすぐに注射。
ウチの子もお尻に注射(お尻に注射ってすごく痛いんだよね・・・)をされた。
私はこの注射が怖い。
薬間違えていないかとか、分量間違えていないかとか・・・、とにかくできるだけ注射なんてしてほしくない。

さらに処方される薬がまた、ピンクと紫の混じったようなおどろおどろしい色をしている。
そして薬の飲ませ方もまた、恐ろしい。
確か病院の人は”ティースプーン1杯”と言っていたのに、義母はでっかいスプーンにたっぷり薬を注いでいる!
日本みたいに言われた容量なんて守らないのだ。
どうも、たくさん目にあげたら早く良くなると思っているみたい。
下の子が熱を出した時など”6-12歳の子にはティースプーン1-2杯”と書いてある薬を、まだ5ヶ月の子にいつもの大きいスプーンで1杯飲ませようとしている!!!
さすがに黙って見ていられず、「おかあさん、半分にしようよ」と言ってしまった。
その様子を見ていた主人が「薬のことでケンカしないで。薬作る会社の人も、パキスタンのおかあさんたちの薬のあげ方分かってるの。だから大丈夫。」
・・・本当だろうか?確かに薬はパキスタン製のものがほとんどだけれど・・・。
言われてみれば、そういう主人もこのおかあさんに、このように薬を飲まされて、何事もなく大きくなってきたのだ。

私がまだ結婚する前、パキスタン航空の中で隣同士になった日本人の奥さんが言っていたっけ。
「私はどうでもいいんだけど、子どもたちが心配なのよね。病気になった時とか・・・」
あの時はピンとこなかったけれど、今母親になってよーくよく分かる、その気持ち。

プロフィール

りむしゃ

Author:りむしゃ
パキスタンのラホールにて子育て中です。
私生活は不安がいっぱいですが、こちらでの生活を自分なりに楽しみたいと思っています。
※現在日本にいるので、お休み中です。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



Copyright © ラホールの街角から All Rights Reserved.
テンプレート配布者: サリイ  ・・・  素材: ふるるか  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。