This Category : イスラーム的混沌について

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Mおじさん宅周辺

2006.07.12 *Wed
Mおじさんのお宅へお見舞いに行ってきたので、Mおじさん宅周辺を紹介します。
こちらでは電話などせず、いきなり訪ねるのが基本なのでMおじさんには会えなかったのだけれど・・・。
聞けば仕事に出たということで、それくらい元気ならよかった、とホッとしました。

Mおじさん宅はラホール旧市街にある12の門のひとつ、モチゲートから少し奥へ入ったところにあります。
モチゲートの入り口にはアーモンドやピスタチオなどのナッツ類、炒ったひよこ豆などを山積みにして売っている店が並んでいます。
この入り口は、客待ちのリキシャやチンチ(オートバイを改造して作った乗り物)がたくさんいて、いつも賑やかです。
そこから少し奥へ入ると今度は子どものおもちゃを売る店が両脇にずらりと並び始めます。
シールや風船、くるまや飛行機、細々としたおもちゃが並ぶ小さな店は、日本の駄菓子屋のような雰囲気です。

これがMおじさん宅へ続くチャッジャの下にあるトンネルのような路地(記事『チャッジャのこと』参照)。
P1010004.jpg

昼間でも暗く、電気がついています。
このトンネルの途中には、表通りにあるプーリ屋さん(プーリとはナンと同じような生地をたっぷりの油で揚げたもので、朝ごはんによく食べます)の仕込をする部屋があって、いつも揚げる前のサモサやプーリがたくさん並べられています。

Mおじさん宅からチャッジャを抜けて出てきたところにある三叉路↓
P1010020.jpg

右手のほうへ入るとこんな感じです
P1010021.jpg

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ガリ アラインヤ

2006.06.29 *Thu
先週、モハッラ・チョハッタ・マフティ・バカルの中にあるアラインヤというガリを訪ねた。
地図を持っていたのに見落としそうな小さな路地。
それがガリ・アラインヤの入り口。
正面にモスクが見えたので行き止まりかと思ったら、これまた小さな路地が奥へと続いていた。
P1010111.jpg
分かっていて路地の奥へと入っているのだけど、すれ違う人が丁寧に「その先行き止まりだよー!」と声をかけてくれる。
そしてチャッジャが見えてきた。
P1010113.jpg

細い路地の先に見えてきたのは、三叉路にまたがる大き目のしっかりしたチャッジャ。
普段は人通りが多くてゆっくり写真も撮れないのだけれど、この日は日曜日の朝だったので、みんな玄関先に椅子を出したりしてくつろぎモード。
確認のため住所を聞くと、ついでに、と奥も案内してくれた。
P1010122.jpg

私がカメラをかまえている手前側と右手の路地は通り抜けることができる。
左手の路地は奥へ奥へと行った後、袋小路。
P1010116.jpg

いかにも行き止まりになりそうな、たよりなさ気な路地だけれど・・・
これはナウリヤン・バザールへと続く道につながっている。

チャッジャのある三叉路は地図上は3つとも通り抜けられる道となっていたが、なんといっても7~8年前の地図。
ナウリヤン・バザールへまっすぐ抜けられた、一番便利だったであろう街路は、今は袋小路になっていた。
私の手元にある地図は、研究対象となった一部の地域だけの詳細地図。
本当は旧市街全体の地図が欲しい。
地図はラホール都市計画局というところにあるものらしいのだけれど、私なんかが欲しい、と言ったらかなり怪しまれるんだろうな・・・(泣)

このガリ・アラインヤにはクーチャ・シェイフ・ユフサヴァンという別名がある。
クーチャとはペルシャ語起源の「細い路地・小路」という意味で、クーチェが変化したものだという。
ガリも同じく「細い路地」という意味で、こちらはヒンディー語起源の言葉なのだという。
ひとつの路地街区がガリともクーチャとも呼ばれることについて、参考文献には『ラホールの都市街区の構成は、インドの路地街区の伝統と、同じく路地街区の伝統を持つイスラーム世界の街区パターンが重層したものだということができる』とある。
また『・・・その居住パターンにおいて、カーストによる住み分けが行われていたことも極めて興味深く、イスラーム世界にありながらヒンドゥー的な基層文化が、街区形成に大きく影響していたことが明らかになった』ともある。
義父によると、ガリ・アラインヤのアラインとは野菜などを育てて売る人のことを言うらしい。
1947年のインド・パキスタン分離独立以前まで、ここにはアラインというカーストの人たちが暮らしていたのだろう。
今日も、この街の歴史を感じてゴキゲンな私。

参考文献:日本建築学会計画系論文集より 『モハッラ、クーチャ、ガリ、カトラの空間構成 ラホール旧市街の都市構成に関する研究その1』

チャッジャのこと

2006.06.28 *Wed
ラホール旧市街には、チャッジャといわれるものがあちこちで見られる。
インドのことを書いている文章の中に石の板庇と説明があったけれど、実際に何のことをチャッジャというのか私には分からなかった。
義父にも義母にも義弟にも聞いてみたけれど、チャッジャという言葉自体あまり使われていないのか、「あれのことじゃない?」とか「いや、きっとあれのことだよ」とかハッキリしない。
そこで例のMおじさんにお願いして見せてもらうことにした。

百聞は一見にしかず、チャッジャとは道を挟んだ向かい側の建物との間に、歩道橋のような形で作られている建物の一部のことだと分かった。
ということはインドのチャッジャとはずいぶん様子が違うようだ。
イスラーム圏のこのような都市には『ヨーロッパなどでは近代にならないと姿を見せない都市の仕掛けや空間の発想を早い段階から獲得してきた』らしいのだが、このチャッジャもそのひとつではないかと思う。
大きさもさまざまで、中には三叉路をまたぐようになっているものもある。
そしてMおじさん宅へ続くあの“トンネル”こそチャッジャだったのである。

参考文献によると、『門やチャッジャはバザールからの分岐点や,街区内の袋小路の分岐点に設けられている例がほとんどで、街区構成において、境界を形成する建築要素として重要な意味があると考えられる』とある。
また『トンネル状になるその空間が(チャッジャのこと)、機能的には門としての役割を果たしていることがわかる』とも書いてある。
門は分かるのだけれど、果たして本当に、境界を知らせるためにわざわざチャッジャを作ったのだろうか?
そうするとチャッジャができた当時、チャッジャでつながれた建物の住人同士の同意も必要だったに違いない。
けれど境界を示すといった以外にチャッジャを作る理由は見当たらない。
またチャッジャがバザールからの分岐点や袋小路の分岐点に集中している以上、それは偶然であるとは言えず、自然発生だと考えるにしても無理がある。
もしこれから、チャッジャのある建物の中を見せてもらったり、そこに住む人の話を聞いたりする機会に恵まれたなら、またブログにアップすることにしたい。
義父によると、今回見てきたようなものを、チャッジャではなくチャッタと言うのだそうだ。

写真の、緑の看板やすだれがかかっている部分がチャッジャ。
下には旧市街らしい細い路地が通っている。


参考文献:日本建築学会計画系論文集より 『モハッラ、クーチャ、ガリ、カトラの空間構成 ラホール旧市街の都市構成に関する研究その1』

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旧市街のこと

2006.06.18 *Sun
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私がこの街で一番気に入っている場所がある。
それは、バードシャーヒーモスクの南側に広がる旧市街の街並み。
ラホール旧市街が築かれたのは、16世紀、ムガール帝国第3代アクバル帝の時期で、現在は新市街が南へ大きく拡大しているけれど、市壁で囲まれていた旧市街の形態そのものはアクバルの建設した当時から大きな変化はないという。
市壁の周囲は約4.8Km、12の市門が備えられている(旧市街全体では13)。

イスラーム圏の都市ではラホール旧市街のように迷路状になった市街地が多く見られる。
街路は細くなったり広くなったりしながら複雑に入り組んで、三叉路や袋小路も多く、先の予想を全くつかせてくれない。
そして両側には商店がぎっしりと立ち並び、たくさんの人、ロバや馬車が行き交い、独特の雰囲気を持った不思議な空間が広がっているのだ。
この道を抜けるとどうなっているんだろう?という路地ばかりなので、子供のころの“探検ごっこ”の時感じたわくわく感がくすぐられてしまう。

私の大好きな、イスラーム的混沌がここにある。
私の言う“イスラーム的混沌”とは、決して“秩序がない”ということではない。
中世イスラーム市街地も今と変わらず賑わっていたんだろうなと想像させてくれるような、悠久の時を越えて人間の営みを思い起こさせるような、そういうごちゃごちゃ感のことなのだ。
というのも一見すると無秩序に見えるこの空間、実はモハッラ・クーチャ・ガリ・カトラという4種類の単位(家々の集合体)が組み合わさって構成されているという。
このうちクーチャ・ガリ・カトラはバザールから分岐して、それぞれの家へとつづく路地を中心としたまとまりのことで、比較的小さな単位である。
そしてモハッラというのはクーチャやガリをいくつか含む、もっと大きな単位のことである。

幸せなことに、このあいだ野菜の卸売市場に連れて行ってくれたMおじさん宅が”クーチャ“の袋小路のつき当たりにある。
人が1人通れるくらいの細い暗いトンネルのような路地を抜けると、築130年を超える年季の入ったMおじさんの家が見えてくる。
表のバザールにはおもちゃ屋さんが軒を連ねていて、そこから一歩中へ入ったMおじさん宅の向かいの建物は倉庫として使われており、いつもおもちゃが山積みになっている。
この路地には、大声で声をかけ合いながら在庫を運び出す人たちが始終出入りしていて賑やかだ。
先日、「バイクで全部案内してあげるよ」と約束してくれたMおじさん。あぁ、早く連れて行ってくれないかなぁ。

※写真はイクバール公園側からみたバードシャーヒーモスク。

参考文献:日本建築学会計画系論文集より 『モハッラ・クーチャ・ガリ・カトラの空間構成 ラホール旧市街の都市構成に関する研究その1』 

市場潜入

2006.06.04 *Sun
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今朝は、4時起きで”サブジ・マンディ”という、野菜と果物の卸売り市場に潜入してきました。
写真は5時半ころの様子なのだけれど、とにかくすごい賑わい。
こちらでは、日本のようにハウス栽培したりしないので、市場にも当然旬の野菜や果物だけが並びます。
あまり手を加えず自然にまかせて作っているようで、どの作物も大きいのやら小さいのやら混じっていて、色もまちまちだったりします。

みんな元気に声を張り上げて、セリの真っ最中。
すいかのセリでは半分に割って中身を見せ、「こんなにすばらしいすいかだよ」と訴えています。
果物のエリアでは新鮮なライチを見つけました。
冷凍の茶色い皮のライチしか見たことがなかったので、新鮮だったら赤や黄色のこんなに可愛い色してるんだー、と何だかちょっと嬉しくなりました。
ライチの積み方もとっても可愛かったのでお見せします(下↓)
右も左も人や商品、積荷を待つトラックであふれかえっていて、足元には踏まれてつぶれてしまったトマトやマンゴー、後ろからも前からも頭に大きな荷物を載せて行きかう人びとの間を、ぬうようにして見てきました。
道路を挟んだ向こう側はさとうきびのエリアになっていて、背の高いさとうきびがたくさん並んでいました。

どこの市場だってそれなりの活気があるものだけれど、こういう所へ行くと”この雑然とした雰囲気、とてもイスラム的だなぁ”、と思うのです。
人びとにまぎれて、ロバも馬も牛も一生懸命仕事してるからかな、野菜や果物にまぎれて寝ている人がいるからかな、水タバコを吸っているおじいさんがいるからかな、何故だか分からないのだけれど、とにかく私はこのごちゃごちゃが大スキなのです。

最後に、私のこのような好奇心に理解があり、外出を許してくれるこちらの家族に感謝です。特にMおじさんありがとう。
(こちらでは女性がこのような行動をとることは有りえないことで、家族の中にそんなことをしようとする女がいたら、大抵はいい顔をせず止めるものだからです)

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プロフィール

りむしゃ

Author:りむしゃ
パキスタンのラホールにて子育て中です。
私生活は不安がいっぱいですが、こちらでの生活を自分なりに楽しみたいと思っています。
※現在日本にいるので、お休み中です。



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